子どものトラブル110番
育児の過程で生じる子どもに関するさまざまな問題、ことに法律をめぐる諸問題は一般人には分かりにくいものがあります。ここでは幼児をめぐる法的な問題をできるだけ具体的な例をあげ、考えていくことにします。
息子が保育施設で急死。
度重なる虐待を追及する!
- 二歳になる息子を開設間もない無認可保育施設に預けていました。施設では、経営者であるAさんがひとりで保育を行っていました。「これだけの数の子どもをひとりで見るのは大変だなあ」とは思いましたが、仕事が忙しい私はAさんと施設の存在を頼もしく思っていました。息子を定期的に預けるようになって一ヵ月がたったころです。いつものように息子を預け、仕事に向かおうと施設を出た数分後、Aさんから携帯電話に連絡が入りました。息子が引きつけを起こしているのですぐ来てほしいとのことでした。あわてて施設に戻ると、息子は床の上に寝かされており、いくら名前を呼びかけても答えることも反応を返すこともできず、目の焦点が定まらない状態でした。
「早く救急車を呼んでください!」と狼狽する私に対し、Aさんは「吐いたので寝かしただけです。(救急車は)必要ありません」と取り合わず、「近くの小児科へ行ってみます」と言って出ていきました。しかし、しばらくすると戻ってきて「お医者さんがいませんでした」と言うではありませんか。私は自分で119番通報し、息子は病院に運ばれました。しかし、すでに息がなく、そのまま亡くなってしまいました。息子は頭骸骨骨折などの重傷を負っていたのです。
後になって、Aさんの施設では子どもが骨折する事件が相次いでいたこと、二週間前には一歳のお子さんがやはり保育中に頭にケガを負い亡くなっていたこと、これに対し県は虐待の疑いから施設に何度か立ち入り調査を行い、その都度複数の保育士の確保などの行政指導を行っていたことが分かり、私は愕然としました。もしも、うわさが伝わっていたら決して息子を預けたりしなかったのに……。ところが、Aさんは「座らせようとして肩を付き押したところ、倒れて床に後頭部を打ちつけた」と供述し、暴行の故意はなかったと主張しています。大きな後悔とともに、Aさんへの許せない気持ちでいっぱいです。
- まずAさんが負うべき刑事責任としては、息子さんのケガの重さから見て、少なくともAさんには暴行あるいは傷害の故意があったと考えられます。それどころか、むしろ無防備な乳幼児に対し継続的に暴行が加えられていることから、犯行は悪質なものと判断され、Aさんには殺害の故意があったと判断される可能性があります。したがってAさんは傷害致死死罪、あるいは殺人罪が成立することとなります。他方、Aさんが負うべき民事責任としては、息子さんが死亡したことについて損害賠償責任を負うことになります。
Aさんは保育施設において、過去にも預かっていた乳幼児に対して暴行を加えていたようです。息子さんの事件が起こる以前に、県は虐待の疑いから施設に何度か立ち入り調査を行っています。その都度、「複数の保育士の確保」などの行政指導を行っていましたが、Aさんは経営を継続し、また園児に対する暴行もつづけていたようです。
まず、息子さんが亡くなった原因がAさんの暴力にあることは、Aさんに預けた直後に息子さんに異変が発生したこと、頭骸骨を骨折するほどのケガを負い死亡していること、この日施設にはAさんしかいなかったことから明らかです。これに対して、Aさんは「座らせようとして肩を付き押したところ、倒れて床に後頭部を打ちつけた」と供述し、暴行の故意を有していなかったと主張しています。しかし、息子さんの負ったケガの程度からして、Aさんがかなり強い力で突き落としていることは明らかで、暴行の故意がなかったとは考えられないでしょう。
それどころかむしろ無防備な乳幼児に対し継続的に暴力が加えられていることから犯行はかなり悪質なものと判断され、Aさんには殺害の故意があったと判断される可能性すらあります。
これに対しAさんが犯行後に小児科を訪れていることも暴行・殺害あるいは殺害の故意がなかった証拠だと主張される可能性もありますが、裏付けとしては不十分だと思われます。
保育施設を経営するAさんは園児たちに対して愛情をもって接し、また安全に対しても十分な配慮をすべき法的義務を負う立場にありながら、継続的な暴行を加えるという犯行におよんでいます。当時、被告人が相当のストレスを抱えていたことも想像できますが、対価を受けて保育しておきながら、抵抗できないばかりか保護者に訴えることもできない乳幼児に暴行を加えることを認める理由にはなりえません。もちろん、被害者となった子どもたちや家族に落ち度はありません。
以上の点から、Aさんには刑事責任として傷害致死罪あるいは殺人罪の成立が考えられます。
他方、民事責任として、損害賠償責任を負うことになります。民事責任の損害賠償としては葬儀関係費や死亡による逸失利益などが認められ、また息子さんが受けた肉体的・精神的苦痛、ご両親が受けた精神的苦痛に対する慰謝料がそれぞれ認められます。そして、息子さんの慰謝料請求権はご両親が相続によって取得します。
保育園の食事中、子どもがアレルギーを発症、
保育園の責任を問いたいが……。
- 息子が通う保育園では、食物アレルギーのある息子のために卵抜きの除去食を用意してくれています。いつもはおとなしく自分の食事を食べる息子でしたが、この日はなぜか、保育士さんの見ていないすきに隣の席の子どもの卵焼きを取って食べてしまいました。保育士さんの話では、みるみるうちに息子の顔がはれ、全身にじんましんが出たため、病院に連れていって診察してもらったということです。
小さな子どもが思いがけないことをするのは、保育士さんなら当然予測できたはずです。明らかに不注意だと思います。保育園に治療費を請求できるでしょうか?
- 保育士が息子さんの行動を予測することは難しかったと考えられますので、保育園の注意義務違反を問うことはまず無理でしょう。ただし、保育士が子どもたちから目を離していた時間が長かったり、息子さんのアレルギーの度合いが重くて厳重な注意が必要だったという場合には、過失責任を問うことができ、損害賠償として治療費を請求できるかもしれません。
保育園は保護者の委託を受けて乳幼児の保育をしています。そのため、保育園や保育士に保育上の落ち度があり、それが原因で息子さんにアレルギー症状が発生し、治療が必要になった場合、保育園は損害賠償責任を負うことになります。
たとえば、他の子が食べる普通の食事を誤って息子さんに食べさせてしまった場合は、明らかに「注意義務違反」があったといえます。しかし、息子さんが隣の席の子の食事を取ってしまうことを予測し、その防止策をとる注意義務が必要だったかどうかについては疑問があります。息子さんはふだんはおとなしく自分の食事を食べていたということですから、卵を食べると具合が悪くなることを理解していたと考えられます。
たしかに別室で息子さんに食事をさせたり、保育士がずっと付き添っているなどの対策をとっていれば、こうした事故は起こらなかったかもしれません。しかし、今回のように予測が困難と思われる場合には、損害賠償を請求できるほどの注意義務違反があったとはいえないでしょう。
しかし、保育士が子どもたちから目を離していた時間が長く、他の子の食事をうらやましそうに見ていたなど、卵焼きを食べる前の息子さんの様子を見逃していたという特別な事情があれば、保育士に落ち度があったと判断される方向に傾く可能性もあります。また、注意義務の程度は息子さんのアレルギーの度合いによっても異なります。たとえば、息子さんのアレルギーが重く、卵を食べることが即生命に関わるという特別な事情があれば、より厳重な注意が必要とされるわけです。
以上の理由から、右のような特別の事情がない限り今回の事故に関しては保育園に注意義務違反は認められず、損害賠償として治療費を請求することはできないと考えられます。
6ヶ月の息子の死亡事故、保育所に責任を問えますか?
- 生後6ヵ月になる息子を亡くした母親です。その日の朝方、息子は少し熱がある様子で、計ってみると38度ありました。息子のことは心配でしたが仕事があるため、保育園に預けざるを得ませんでした。また、急いでいたので、38度の熱があることを保育者に伝えることを忘れてしまいました。
息子を預けてから一時間ほどたったころ、息子の異常に気づいた保育園から連絡があり、すぐに嘱託医の診察を受けさせるということでした。息子は肺炎と診断され、そのまま病院に運ばれましたが、翌朝に息を引き取りました。あっけない息子の死にただ呆然とするばかりです。
出かける前にはそれほど具合が悪そうには見えなかったことを思うと、保育園側の対処に問題があったと思えてなりません。保育園から電話があるまでの一時間、保育園は息子の異常に気がつかず、放置していたのではないかと思うのです。保育園側の責任を問うことはできるのでしょうか?
- 保育園は保護者の委託を受けて乳幼児の保育をしています。ですから、保育園の保育者らに保育上の落ち度(注意義務違反)があって、それが原因で息子さんが死亡したとすれば、保育園はご両親に責任を負い損害賠償をしなければなりません。
しかし、今回の場合、保育園側に多少の落ち度が認められたとしても、それが直接息子さんの死亡につながったとは考えにくく、より大きな落ち度は生後6ヵ月の息子さんに38度もの熱があることを知っていながら保育者に伝えてなかったお母さんにあります。したがって、保育園側に損害賠償を求めることは難しいでしょう。
子どもの健康と安全を守るためには、子どもの健康状態を十分に把握しておく必要があります。とくに息子さんのような生後6ヵ月の乳児は自分で体の不調を訴えることができませんから、周囲の大人が子どもの状態をよく観察してあげなければなりません。保育園への登園時は、そのような大人の役目が保護者から保育者にバトンタッチされる場面です。そのため、保護者は自分が把握している子どもの状態に関わる情報を保育者に伝達しなければなりません。また、保育者も登園時の子どもの状態をよく観察するとともに、保護者からその日の子どもの状態について報告を受けなければなりません。
今回の場合、お母さんは息子さんが朝38度も熱があったことを保育者に伝えていません。聞き取らなかった保育者にも落ち度がなかったとはいえませんが、息子さんに熱があることを知っていながらそのことを保育者に伝えなかったお母さんの落ち度のほうがはるかに大きいといえるでしょう。
では、保育開始後の保育園の責任についてはどうでしょうか。保育者は保育中の子どもの状態をよく観察し、何らかの異常を発見した場合にはすみやかに保護者へ連絡するとともに、嘱託医に相談したり、診察を受けさせたりする、などの適切な処置を取らなければなりません。
今回の場合、保育者が息子さんの異常に気がついたのは、息子さんが保育園に預けられて一時間ほどたってからだったということです。息子さんが具合悪そうにしていたり、顔が赤いなど発熱を疑わせる要素があったりしたのに、これを一時間もの間見逃していたとすれば、保育者にも落ち度がなかったとはいえません。
しかし、すでに指摘したとおりこの事故ではそもそも、朝、息子さんに38度の熱があったことをお母さんが保育者に伝えてなかったことに重大な問題があります。保育者もその事実を伝えられていれば、息子さんを預からなかったかもしれません。仮に預かったとしてもそのような事実を伝えられれば、よりいっそうの注意を払って観察していたでしょうから、保育者に多少の落ち度があったとしても、より重大な落ち度があるお母さんが保育園側の責任を追及することは難しいでしょう。
以上の点から、お母さんが保育園側に対してその責任を追及し、損害賠償請求を求めることは難しいと思われます。たとえ裁判所に訴えを起こしたとしても信義誠実の原則(民法第一条二項)に反する、あるいは権利の濫用(民法第一条三項)として許されないと判断される可能性があります。
保護者の責任と相手の過失
- 3歳の男の子です。母親と一緒に歩道のない道を歩いていました。母親がたまたま知人に会ったので、立ち話を始めました。歩いていた時は子どもの手を握っていましたが、この時は手を離してしまいました。
ところが、突然、子どもが向い側へと歩き出しました。その時走って来た自転車に衝突して、けがをしてしまいました。
この場合、親の責任と自転車に乗っていた人の賠償はどうなるのでしょうか?
- このケースでは、子どもがけがをしてしまったということですから、治療費、付添い看護費、後遺症による過失利益、慰謝料等の損害を誰が負担しなければならないのかが問題となります。
自転車に乗っていた人に過失が認められれば、加害者として損害賠償責任を負います。(民法709条 不法行為責任)
過失と言うのは、衝突して怪我をさせる可能性があるのに、不注意によってその可能性を十分認識しなかった結果、衝突して怪我をさせてしまったということです。前方に母親と手をつないでいない3歳くらいの男の子がいることを発見した場合、そのような歳の子は、突然飛び出してくるなど思いがけない行動に出ることが十分にあり得ることは容易に想像できます。
ですから、自転車に乗っていた人は、子供の動静に気をつけて運転しなければならなかったのに、その注意が十分ではなく、子供と衝突してしまったことについて過失があったと認められるでしょう。
ところで本件では、被害者の男の子は突然向い側に駆けだしたというのですから、そのことが本件発生の原因になっており、その行動には大変な問題があったと言えます。
通常の事故の場合、加害者に過失があったが、他方で被害者にも過失があって傷害等の結果が発生したという場合には、加害者が被害者に生じた損害の全額を賠償しなければならないのではなく、被害の過失の程度に応じて、加害者の支払うべき損害賠償の額が減額されます。
これを「過失相殺」といいます。 (民法722条2項)
しかし本件の場合、被害者はまだ3歳です。この子には、物事の判断能力が全くないといって良いでしょう。自分が飛び出したら乗り物に衝突する可能性があるということも判りません。ですから、この子どもに過失があるということは、言えないのです。 とすればこの場合、被害者との間での過失相殺は認められず、加害者である自転車に乗っていた人は、子どものけがによって生じた損害を全額負担しなければならないのでしょうか?
ここで、子どもの母親の責任について考えてみます。
子どもがまだ3歳ですから、母親には当然、自分の子どもの安全に注意する義務があります。そして道路は、自動車やバイク、自転車などが通行する危険な場所ですから、母親は、子どもの手をしっかり握るなどしていなければ、子どもが道路に出てこの様な乗り物と衝突し、けがをするかも知れないということもまた、容易に想像できるところです。
ところが、不注意にも子どもの手を離し、子どもの行動に注意を払うことなく、たまたま知人と立ち話を始めてしまったのですから、子どもがけがをしたことについて、母親に過失が認められると考えられます。
このように、母親には事故の発生について過失があり、看護義務者としての責任を果たしていないのに、被害者自身に過失がないからと行って過失相殺を認めず、加害者が損害の全部を負担しなければならないとすれば、それは加害者に余りにも酷で、不公平な結論であるといわなければなりません。
そもそも「過失相殺の制度」は、発生した損害を加害者と被害者の間で公平に分担させようという公平の理念に基づくものですから、このような結論は、制度の主旨に反する不合理なものといわざるを得ません。
そこで裁判所は、被害者(子ども)に対する監督者である父母などのように、被害者と身分上ないし生活上一体をなすと見られるような関係にある人に過失が認められる場合には、これを「被害者の過失」として、被害者自身に過失がある場合と同様に過失相殺を認めてきました。
つまり被害者本人だけでなく、被害者と何らかの関係にある人を「被害者側」として考え、その人に過失があったと認められる時は、あたかも被害者本人に過失があったのと同様に過失相殺をして、不公平を是正しようというのです。
本件のケースでは、被害者である子どもの母親の過失が「被害者側の過失」として捉えられ、過失相殺がなされます。
では、どれくらい過失相殺がなされるでしょうか?
この点は、個々のケースの具体的事情にもよりますが、過去の裁判例を見ますと、大体1割から3割程度の過失操作がなされているケースが多いようです。もちろん、母親の過失が大きければ、より多くの過失相殺がなされます。
以上のように考えていきますと、本件のケースで、例えば子どもの治療費等損害が10万円発生したとします。そして母親の過失が2割認められるとしますと、母親にも不注意な点があったのに、10万円全額、自転車に乗っていた人に支払わせるのは不公平だから、母親の過失の2割分は自転車に乗っていた人に請求できませんよ、ということで、自転車に乗っていた人に対して8万円の請求ができるということになります。
離婚と子ども
- 両親の離婚後、母親に引き取られている4歳の男児。母親はこの子どもを保育園にあずけて仕事をしています。
父親は親権を失っていますが、もともと子どもの世話をよくしており、子どもも父親によくなついています。時々保育園を訪れて子どもとの面会を要求するのです。
母親は子どもと父親が会うことを承諾していません。子どもも父親の姿を見ると会いたがって泣きます。
父親と子どもを会わせてはいけないでしょうか。
- 未成年の子の両親が離婚する場合、父母の一方が親権者と定められます。
父母のいずれを親権者とするかは、協議離婚の場合は父母の協議によって定め、裁判上の離婚の場合には裁判所が定めます。
また、どちらが親権者になるかについて協議が調わない時や協議ができない場合にも、父または母の申し立てにより裁判所が定めます。
親権とは、子を保育・監護・教育する親の職分(役目)といわれており、他人を排斥して子の保育・監護・教育に当りうるという点では権利ですが、子の福祉を図るべく親権を適切に行使することが子および社会に対する義務とされています。
親権の内容は
身上監護権と財産管理権に大別され、身上監護権には監護・教育の権利義務(民法第820条)、居所指定権(同法第821条)、懲戒権(同法第822条)、職業許可権(同法第823条)、および、身分行為の代理権・同意権が含まれています。
また、親権者と分離して監護者を定めることもでき、その場合には、身上監護権の内の監護・教育の権利義務、居所指定権、懲戒権、職業許可権が監護者の職分範囲になるものと考えられています。
本ケースでは、子どもが親権者である母親に引き取られているとのことですから、親権者・監護者とも母親と定められているケースでしょう。結果、子どもの親権者である母親が、その監護権に基づいて子どもを保育園にあずけ、子どもの保育を委託しているわけですから、保育園は委託者である母親の承諾がない以上、勝手に父親と子どもを会わせてはいけません。
では本ケースでは、父親はどうすれば子どもと会えるでしょうか。
本ケースの父親のような、離婚後、親権者とならなかった親が、その未成年の子と面接交渉する権利を「子との面接交渉権」といいます。面接交渉権について定めた法律の規定は存在しませんが、これを権利として認めるのが裁判例・学説において一般的です。
もっとも、面接交渉権の性質は、子の監護義務を全うするために親に認められる権利である側面を有する一方、人格の円満な発達に不可欠な、両親の愛育の享受を求める子の権利としての性質をも有するものですから、面接交渉権は無期限に認められるものではなく、この福祉・利益を害するときには制限を受けます。
面接交渉権の行使手続は、父母が、子の意見を尊重し協議して定めます。この協議が調わないときや協議することができないときには、家庭裁判所に申し立てをすることになります。(民法第766条第1項、同第2項、家事審判法9条第1項乙類第4号)
本ケースで、父親が母親と協議をすることができる状況であれば、協議をします。その結果、面接交渉権の設定、面接の時期・場所・方法などについて協議が調えば、その取り決めに従って子どもと面接することになります。
母親と協議をすることができなく、協議が調わなければ、家庭裁判所に調停もしくは審判の申し立てをすることになります。
調停・審判のいずれの方法によるかは申立人である父親の任意ですが、調停申立てをして調停が不成立となったときは、審判手続に移行しますし、審判申立てをした場合でも、家庭裁判所は、いつでもこれを職権で調停に付することができます(随時、当事者間に自主的解決の機会を与えるため)ので、家庭裁判所が調停に付した場合には、調停手続に移行することになります。
そして、調停手続で調停が成立した場合には、父親は、成立した調停の内容にしたがって子どもと面接することになります。また、審判手続で審判がなされた場合には、確定審判の内容にしたがって子どもと面接することになります。
もっとも、必ずしも父親の面接交渉権の行使が認められるわけではなく、前述したように、この福祉・利益の観点から制限を受ける場合もあります。
具体的には、子どもの年齢、両親が離婚に至った経緯、親と子どもとの生活史や愛着の程度状況などを考慮して、裁判所が面接交渉を認めないケースもあるということです。
いずれにしても、父親は、母親との協議、家庭裁判所での調停あるいは審判といった手続きを経て、子どもとの面接の仕方についてのルールを定めた上で子どもと会うことになります。
ですから、本ケースのように、いきなり保育園を訪れて子どもとの面会を要求してはいけませんし、保育園も父親と子どもを会わせてはいけないのです。
預かった子ども
- Aさんは隣の親しい奥さん(Bさん)から 「2歳の子どもが熱を出していて、12時にこの薬を飲まなければならないのですが、これからどうしても子どもをおいて外出しなければならないので、すみませんが子どもを預かっていただき、時間になったらこの薬を飲ませてくれませんか」と頼まれました。
そこでAさんはBさんからの依頼を引き受けて子どもを預かり、時間になったので薬を飲ませたところ、うまく飲まないで全部はいてしまいました。そのためなのか、Bさんが帰ってきたころには高い熱が出て、病気が進んだようです。AさんはBさんに「お子さんはうまく薬が飲めませんでした」と言ったところ、それからお互いの仲が悪くなってしまいました。
Aさんは病気のことも分からなかったので、それ以上のことはできなかったのですが、責任があるのでしょうか。Aさんが判断して医者に連れていかなければならなかったのでしょうか。もしそのために悪くなったとするならば、どういうことになるのでしょうか。
- 委任契約の成立
本ケースでは、Aさんは、BさんからBさんの外出中、Bさんの子どもを預かり、決められた時間に薬を飲ませることを委託され、これを承諾しています。このように何かの時柄の処理を委託した人の間には、「委任契約」が成立します。(正確にいえば民法上の「準委任契約」に当るのですが、同法では「委任契約」の規定が事情に合わせて準委任契約にも適用されることになっていますから、両者の違いを問題にする必要はありません。それで、ここでは「委任契約」として説明することにします。)
委任契約と言っても、契約書も作っていないではないかと思われるかも知れませんが、契約は意志が合致すれば、合意した事項を書面にしなくても成立するものですから、本ケースのように口頭の約束によっても、立派に委任契約は成立しているのです。
また本ケースでは、AさんとBさんとの間で報酬の取り決めがされていませんが、もともと委任契約は、報酬支払いの特約や習慣がなければ報酬の請求ができないことになっていて、報酬の取り決めがないことは、委任契約成立の妨げにはなりません。
善管注意義務
委任契約が成立したことにより、Aさんはどのような義務を負うでしょうか。まず中心となる義務として、Bさんとの約束通り委任事務を処理することが求められます。すなわち病気の子どもを預かり、決められた時間に薬を飲ませなければなりません。
そして民法は、このような委任された事項を処理するに際しては、自分のための事柄を処理する場合の注意よりずっと重い、委任の本来の主旨に従った善良な管理者の注意をしなければならないと規定しています。これを「善管注意義務」(民法644条)といいます。
そして委任契約は、委任者と受任者の間の人間的な信頼関係を基礎とするものですから、無償の委任契約であっても、この注意義務の程度は低くなりません。
本ケースでも、Bさんは、Aさんが注意深く子どもを預かってくれると信頼して、自分の子どもを預けるわけですから、AさんもBさんの信頼に応えて引き受けた以上、ただ形式的に子どもを預かっているだけでは、その義務を果たしたことにならないわけです。
本ケースでは、BさんはAさんに対して、病気の子どもを預かってほしいと依頼したわけですから、BさんがAさんに委託した内容は、単に2歳の子どもを預かると言うことにとどまらず、預かっている間、その子どもが病気であることを前提とした世話をしてもらいたいと言うことが含まれていると考えられます。
単に2歳の子どもを預かったというケースであれば、預かっている間に子どもに事故がないように注意し、子どもの様子に異変がないかを注意してみていれば、頼まれたことを果たしたと言えるでしょう。
しかし本ケースでは、病気の子どもを預かっているわけですから、より一層の注意が必要です。言われたとおりに薬を飲ませたけれども、全部はいてしまったとのことですから、少なくともその後、子どもの熱を頻繁に計るなどして子どもの容態に注意していなければなりませんし、医者に連れていった方がよいと思われるほど病状が悪化した場合には、子どもを医者に連れていくことも必要でしょう。
トラブルを防ぐために
本ケースの具体的事情にもよりますが、子どもの病状が非常に悪化し、医者に連れていくべきだと思われる状況だったにもかかわらず、Aさんが子どもを医者に連れていかなかったのだとすれば、委任契約条の善管注意義務違反になると思われます。そして、Aさんが医者に連れいていくべきであったのにそうしなかったことで、子どもの病気が悪化し、具体的な損害が発生した場合には、損害賠償責任を問われることになります。
では、本件のようなケースでトラブルを防ぐにはどうすればよいでしょうか。Aさんは、病気の2歳の子どもを預かるわけですから、預かる段階で、子どもがどのような病気でどのような状況なのか、薬をうまく飲めなかった場合にはどうすればよいのか、緊急の場合どうすればよいのか、Bさんの外出先の連絡先やかかりつけの医者はどこかなど、予め子どもを預かっている間に責任をもって行動するために必要な情報を、よく聞いておくことが大切でしょう。
胎児の相続権
- Aさんのお兄さんは、3ヶ月前に自動車事故で亡くなってしまいました。その後Aさんのお父さんも、後を追うようにして1ヶ月前に亡くなってしまいました。Aさんには他に兄弟はおらず、Aさんのお母さんも既に亡くなっています。
Aさんのお兄さんの奥さんは、現在妊娠中なのですが、Aさんのお父さんの遺産はどのように分けることになるのでしょうか。
- 既に母親が亡くなっている状況で、父親が亡くなった場合、その子どもたちが父親の相続人となりますから、もしAさんの父親が亡くなった時点で、Aさんのお兄さんが生きていれば、Aさんとお兄さんが父親の相続人となり、遺産を相続することになります。
ところが本ケースでは、子どものひとりであるAさんのお兄さんは、父親よりも先に亡くなってしまっていますので、問題となります。
代襲相続
民法は、被相続人(亡くなった人)の子どもが相続の開始(被相続人が死亡したとき)以前に死亡したときには、その者の直系卑属がこれを代襲して相続人となるものと定めています。(民法887条2項)
つまり亡くなった人の子どもが、亡くなった親と同時、あるいは親よりも先に死亡した場合に、その子どもの子ども、すなわちその孫が、親に代わって祖父母の相続人となると定めています。
孫の立場からすれば、父親が生きていればまず父親が祖父の遺産を相続し、それを自分も継承できたはずであると言う期待利益がありますから、代襲相続はその期待利益を保護する公平の原理に基づく制度であると言えます。
本ケースでは、Aさんのお兄さんに子どもがいれば、その子どもがお兄さんを代襲してAさんの父親の相続人となり、Aさんはお兄さんの子どもと遺産を分けることになります。このときの相続分ですが、本来Aさんとお兄さんの2人で父親の遺産を相続した場合には、相続分が2分の1づつになりますから、例えば仮に、Aさんのお兄さんに複数の子どもがいた場合には、その複数の子どもが、Aさんのお兄さんが受けるべき二分の一の相続分を等分に分けた割合の相続分を、それぞれ有することになります。(例えば、仮にAさんのお兄さんに子どもが3人いた場合には、Aさんが二分の一、3人の子どもがそれぞれ六分の一づつの相続分となります)
本ケースでは、Aさんのお兄さんの子どもはまだ生まれてきていない胎児ですから、このように相続人が胎児の場合にどうなるのかを、次に見ていきましょう。
Aさんのお兄さんの奥さんのお腹の中には、Aさんのお兄さんの子ども(胎児)がいますが、まだ生まれていません。人は、出生して始めて司法上の権利義務の主体となる資格(権利能力)を有するようになります(民法1条の3)から、まだ出生していない胎児には、権利能力はありません。
相続は、被相続人に属した権利義務を相続人が継承するものですから、相続人も当然、権利能力のあるものでなければなりません。
しかしながら、相続人が死亡した時点で既に懐胎されており、やがて生まれてくることが予想される胎児を、権利能力がないからといって相続から除外してしまうことは、妥当ではありません。
相続開始時
例えば、被相続人が死亡する前日に出生した場合には相続できるのに、母親に陣痛が始まってもうすぐ生まれてきそうな状況で、被相続人が死亡し、その翌日に出生した場合には相続することができない、というように、たまたまこの世に出るのが早いか遅いかということで、このように大きな差がつくことになってしまうのは問題です。
そこで民法は相続については、胎児は既に生まれたものとみなすと定めています。(民法886条1項)
そして、この「既に生まれたものとみなす」との規定の意味については、胎児の間は相続能力はないけれども、胎児が生きて生まれたときに、相続開始時まで遡って相続したものと認めると解釈されています。つまり胎児が胎児として相続人となるわけではなく、胎児が生きて生まれた場合に、遡って相続人だったことにするということです。
またこの規定は、胎児が生きて生まれたときにだけ適用があり、死産のときには初めから胎児がいなかったのと同様に扱われます。(民法886条2項)
遺産分割協議
本ケースでは、Aさんのお兄さんの子ども(胎児)が生きて生まれれば、その子どもがAさんのお兄さんを代襲してAさんの父親の相続人となりますから、AさんとAさんのお兄さんの子どもが、Aさんの父親の相続人となり、相続人の間で遺産分割協議をすることになります。
もっとも、生まれたばかりの子どもは当然のことながら未成年者ですから、法定代理人(親権者)であるAさんのお兄さんの奥さんとAさんとの間で、遺産分割協議をすることになります。
先ほども述べましたように、胎児が胎児として相続人となるわけではありませんから、子どもの出生前にAさんのお兄さんの奥さんと遺産分割について決めても、遺産分割としては無効となります。子どもが生まれたことを確認した上で遺産分割協議をすることになります。
もし、胎児が生きて生まれてこなかった場合には、Aさん一人がAさんの父親の遺産を相続することになります。
子どもが自転車と衝突し、大きな傷跡が残るケガ。
目を離した保護者の責任はどこまで・・・?
- 私には3才の息子がいます。ある時、息子を連れて近所を歩いていました。歩道のない道で、車の通りはそれほど多くありませんでした。
途中たまたま知人に出会い、立ち止まって話をすることになりました。歩いていた時は息子の手を握っていましたが、時間にしたらそんなに長くはなかったと思うのですが、知人との会話に夢中になり、手を離してしまっていました。
すると突然、息子が向かい側へとかけ出し、ちょうど走っていた自転車に衝突してケガをしてしまったのです。息子は顔を切り、大きな傷跡が残ってしまいました。
歩行者の多い道なのに、自転車は相当スピードを出しており、息子の存在に注意していなかったため避けられなかったようです。
この場合、自転車に乗っていた人に賠償請求することはできるのでしょうか?
また私自身「あのとき、手をつないでいれば」と思うと後悔の気持ちでいっぱいです。親の責任は問われることになるのでしょうか・・・?
- 自転車に乗っていた人には、前方に充分な注意を払っておらず、衝突してしまったという過失があります。したがって、加害者として損害賠償を請求することはできるでしょう。しかし、息子さんの急な飛び出しも事故発生の原因になっています。
3才の息子さんには責任能力がない以上、保護者である親の過失とみなされ、過失相殺が認められることになります。
自転車に乗っていた人に過失が認められれば、民法709条に従い、加害者として損害賠償責任を負います。
過失というのは衝突してケガをさせる可能性があるのに、不注意によってその可能性を十分に認識しなかった結果、衝突してケガをさせてしまったということです。
前方に母親と手をつないでいない3才くらいの男の子がいることを発見した場合、突然飛び出してくるなど、思いがけない行動に出る可能性があることは容易に想像ができます。ですから、自転車に乗っていた人は、子どもの動静に気をつけて運転しなければなりません。しかし、その注意が十分ではなく、子どもと衝突してしまったことに過失があると認められるでしょう。
今回の事件では、「突然向かい側にかけ出した」という息子さんの行為が事故発生の原因になっており、その行為には大変な問題があったといえます。
通常の事故で、「加害者に過失があったが、他方で被害者にも過失があって傷害などの結果が発生した」という場合には、被害者に生じた損害の全額を加害者が賠償しなければならないのではなく、被害者の過失の程度に応じて減額されます。
これを過失相殺といいます。
しかし、この場合、被害者はまだ3才です。息子さんには物事の判断能力がまだ備わっていない年齢で、自分が飛び出したりしたら乗り物に衝突する可能性があるということも分かりません。ですが、だからといって加害者が損害を全額負担しなければならないわけなく、ここで母親の責任が問われることになります。息子さんはまだ3才ですから、母親には当然、自分の子どもの安全に注意する義務があります。
そして、道路は自動車やバイク、自転車などが通行する場所ですから、手をしっかりと握るなどして、息子さんがそばを離れないようにしていなければ、飛び出して乗り物と衝突するかもしれないということも容易に想像できるはずです。
ところが、不注意にも手を離し、息子さんの行動に注意を払うことなく立ち話をしてしまったのですから、息子さんがケガをしたことについて母親には過失が認められると考えられます。
過失相殺というの制度は、発生した損害を加害者と被害者の間で公平に分担させようという理念に基づくものです。
裁判所は、被害者(子ども)に監督者である父・母などのように、「被害者と身分上ないしは生活関係上一体をなすと見られるような関係にある人」に過失が認められる場合には、これを被害者の過失として、被害者自身に過失がある場合と同様に過失相殺を認めています。
よって、今回の事故では、母親の過失が被害者側の過失として捉えられ、過失相殺がなされます。
以上の理由から、今回の事故に関しては自転車を運転していた人が損害賠償責任を負うことになります。
損害賠償としては、事故による治療費、付き添い看護費、後遺症による過失利益を請求できます。また、息子さんが受けた肉体的・精神的苦痛に対する慰謝料の支払を求めることができます。ただし、過失相殺が認められ、賠償額は減額されることになります。
保育士の体罰で息子が死亡。
意図的でなければ殺人じゃない!?
- 1才になる息子を預けていた幼児園で死亡しました。
頭部に大きな打撲傷を負ったことから、クモ膜下出血を起こし、脳ヘルニアに陥ったのが死因だと聞きました。その日、息子たちをみていたのは経営者でもある園長先生ひとりで、彼女は「事故なんです」と説明していました。保育歴30年の大ベテランである園長先生がそばにいたのに・・・と、残念でなりませんでした。
しかし、調査が進むにつれ、実は息子にケガをさせたのは園長先生だということが分かったのです。
その日の午前9時ごろ、息子が泣き続けることに苛立ち、抱きかかえて布団に投げ落とした上、頭を平手とこぶしで何度も殴ったというのです。10時ごろには息子の顔面が真っ白になり、11時過ぎには無表情になって、身体の力がなくなっていたそうです。
もしも、この時点で救急車を呼んでくれていれば、命だけは助かったかもしれません。
しかし、体罰の発覚を恐れた園長先生は、意識を失った息子を園の一室に放置。しかも、「例え救急車を呼んでも助からなかった」として殺人の意図はなかったと主張しました。
また、調べが進むうち、以前にも園長先生が5才の園児に対して激しい体罰を加えていたことが分かりました。園児がウンチを漏らしたことに苛立ち、その子の頭を太鼓のバチで叩き、全治1週間のケガを負わせ、さらに同じ園児がグズったことに苛立って顔面を殴打し、同じく全治1週間のケガを負わせていたのです。
息子の場合もその子の場合も、「母親が子育てに無責任だと思えたこと」が苛立った原因だと話しているそうです。私は、園長先生からキチンとした謝罪の言葉すら聞いておりません。園長先生に刑事上と民事上、どのような責任を追及できるのでしょうか?
- ご質問の場合、加害者(園長先生)側に確固たる殺意があったかどうかを認めることは難しいでしょう。しかし、加害者の加えた暴行が元で息子さんの様態が悪化していくに従って、加害者の中に「死ぬかもしれない」という認識が生まれているのも事実でしょう。その段階で適切な処置をしていれば、息子さんが助かった可能性は大きいと考えられるため、処置をとることなく放置した加害者の責任は重いといえます。
そのため、まず加害者である先生は刑事責任として、「不作為による殺人罪」が適用されるでしょう。他方、民事責任としては、息子さんが死亡したことについて、損害賠償責任を負うことになります。
園長先生が息子さんの様子がおかしいことに気付いたのは、午前10時ごろだということ。このころまでは体罰のために息子さんが死に向かっているとは考えなかったでしょう。しかし、11時過ぎごろには、息子さんが死ぬかもしれないことを認識していたと考えられます。
従って、遅くともこの時点で先生は息子さんに対して、死ぬかもしれないが、それでも構わないという「未必の殺意(※)」が生じていたということができます。そして、直接の死因原因となった脳ヘルニアの発症はその後です。そうすると、11時までに救急車を呼べば十分間に合ったと考えられます。
殺害の動機がなく、積極的な行為でなかったとしても、息子さんの死を唯一回避することができたにも関わらず、救護措置をとることなく放置したことは「不作為による殺人」といえるでしょう。
幼児園の園長という立場であれば、幼い子の失敗は励まし、応援して、成長の過程を温かく見守って手助けしていくことこそが本来の責務であると考えられます。それが、期待通りの行動をとらないからといって苛立ち、暴行を加えた犯行までの経緯に情状酌量の余地はないと判断されるでしょう。 しかも、習慣的に園児に暴力を加えていたことが認められることから、さらに重い量刑が科せられることになります。
ただし、殺意が確たるものではなく「未必の故意」に留まっていることや、積極的な殺害行為に出たのではないことと体罰の点を除けば、30年以上も保育の仕事に関わって社会貢献してきたことなど、園長先生の罰を決めるにあたっては、考慮される余地があるかと思います。
以上の理由から、まず刑事責任として加害者である園長先生には「不作為による殺人罪」が成立します。他方、民事責任としては損害賠償責任を負うことになります。民事責任の損害賠償としては葬儀関係費や死亡による逸失利益が認められ、また息子さんが受けた肉体的・精神的苦痛、ご両親が受けた精神的苦痛に対する慰謝料がそれぞれ認められます。そして、息子さんの慰謝料請求はご両親が相続によって取得します。
※未必の故意とは?
故意とは、罪を犯す意志のことです。刑法38条1項では"罪を犯す意志がない行為は、罰しない"との規定があります。つまり、故意がなければ犯罪は成立しません。これに対して、過失犯は特別な定めのある場合に例外として処罰されるだけです。
故意には、結果を意図・意欲した場合も含めて、結果の発生を確実なものとして認識した確定的故意と、結果の発生を不確定なものとして予見した不確定故意があります。
未必の故意は、この不確定故意に含まれます。そして、未必の故意とは、結果の発生自体は不確実であるが、発生する可能性が高いことを認識している場合ないし結果を容認している場合のことをいいます。
例えば、人混みの中を猛スピードで自動車を運転し、通行人をはねて死亡させた場合、「人をはねて死亡させるかもしれない」と思いながら、「人をはねてもやむを得ない」と思っていた場合は、未必の故意があると判断されることになります。
内縁の夫による子どもへの暴力。
それを放置した母親の罪は・・・?
- 私の姉が離婚後に引き取り育てていた5才と3才の二人の息子を連れて、付き合っていた男性Aさんと同棲を始めました。
当初は優しかったAさんですが、次第に姉に暴力をふるうようになり、姉の子どもたちに対しても行儀が悪いと「しつけだ」といって顔を平手で打ったり、正座させたりしていました。暴力を恐れて姉が実家に帰ると、「もう暴力はふるわない!子どももかわいがる」とAさんが約束し、また姉が同棲先へ戻るという生活を繰り返していました。
そのうち姉はAさんとの間にも子どもができたので、関係も落ち着くだろうと思われましたが、Aさんが職を転々とするようになり、生活が不安定になり始めると、またAさんの暴力が酷くなってきました。姉は歩くことができないくらい叩かれたこともあったそうです。そして、転職と転居を繰り返すうちにAさんの鬱積が溜まり、それが子ども達にも向くようになりました。冬でも1日下着だけで過ごさせる、拳で激しく殴るなど、子どもをせっかんするようになったのです。
しかし、その頃は姉もAさんを止めるどころか、助けを求める子ども達を無視し、時には衰弱した二人の子どもを「お前達なんか死んでしまえばいい」と言いながら、叩くことがあったようです。
ある時、3才のB君がおもちゃを散らかしたことに腹を立てたAさんが、「お前がやったのか!」と激しく殴打し、B君は意識を失いました。
姉はいつものせっかんが始まったと無関心を装って食事の支度を続けていたそうですが、これまでにない悲鳴を聞いて見に行ったところ、B君は身動きができない状態になっていました。二人はB君を病院へ連れて行きましたが、クモ膜下出血によって間もなく息を引き取りました。
姉はAさんの身代わりになることを決意し、警察には「自分がやった」と話していたのですが、とうとうAさんがB君に暴力を加えたことを認めました。
当時、姉は妊娠していました。ですが、姉がとった行動は母親として許されることではありません。しかし、姉がAさんからの暴力が酷くなるにつれ、Aさんに対し愛情を抱かなくなっていたことや、子どもを連れて逃げ出したかったが、Aさんが家にいたため見つかることを恐れて逃げられなかったことなどを供述していることから、当時姉が置かれていた状況や残された長男のことを考えると、姉がどんな刑事責任を負うことになるのかをきちんと知りたいと思います。
- 刑事責任としてAさんは傷害致死罪が成立し、母親であるお姉さんがAさんの犯罪の実行を阻止し得たのに放置したと判断されれば、傷害致死罪の幇助(ほうじょ)犯が成立します。しかし、阻止するのが困難であったと判断されれば、幇助犯は成立しません。
お姉さんは親権者兼監督者としてせっかんを制止し、子ども達を保護すべき立場にありました。そうすると、そのような措置をとることなく暴力を放置し、Aさんの犯行を手助けしたといえるかどうか、すなわち『不作為による幇助犯(※)』が成立するかどうかが問題となります。
もしもお姉さんがAさんの暴力を実力で止めようとしたらどうでしょうか?
負傷の可能性が大きかったと思いますし、胎児の健康にまで被害が及ぶ可能性があります。また、Aさんに逆らうことへの恐怖は相当なものだったでしょう。それは当時のお姉さんの心理状況を考えれば、無理もないことと考えられます。事実、お姉さんはAさんからの暴力が激しくなるにつれ、もはや彼に愛情を抱かないようになっていたこと、子どもを連れて逃げ出したかったが、Aさんが家にいたこともあり、見つかることを恐れて逃げ出せずにいたことなどを供述しているようです。
こうした特別の事実が認められた場合は、お姉さんは刑事責任を負いません。しかし、事件当時のお姉さんの意志や動機を裁判官がどう解釈するかによっては、まったく違う判断が下される場合もあります。
お姉さん自身が何度もAさんに暴力を受け、実家に戻ることまでしていながら、またAさんのもとに戻っていった経緯があります。こうしたことからも、お姉さんがAさんに対する愛情を失っていたことは一概に考えられず、Aさんとの関係に執着していたと判断される可能性もあります。
「逃げ出したいのに、逃げ出せなかった」という点についても、家を出る方法はいくらでもあったともいえますし、お姉さん自身がB君にせっかんを加えていたことも分かっています。また、Aさんの身代わりになろうとしたことからもAさんを庇おうとする意志が見られ、お姉さんの供述をそのまま信じることは難しいかもしれません。
こうした事実から、お姉さんが虚偽の供述をしていると判断されればどうでしょうか?
本当はAさんに愛情を抱いており、またAさんとの子を妊娠していたことからも、B君らの母親であることよりもAさんとの内縁関係を優先させていたことが暴力を見逃していた理由だとしたら、障害致死の幇助罪が成立することになるでしょう。
※ 幇助罪とは?
幇助とは、正犯つまり直接犯罪を実行した者の犯行を容易にさせる行為のことです。
刑法では正犯を幇助した者を従犯とし(刑法62条)、従犯の刑は正犯の刑を減軽すると定めています(刑法63条)。幇助行為は、正犯の実行行為を容易にする行為であれば、その方法を問いません。
例えば、凶器や資金の提供や場所を与えるなど、物理的な形態のもののみならず、犯罪に関する情報提供や助言、激励などの精神的な幇助も含まれます。既に犯罪実行の決意を有している者に対して、その決意を強めるような行為も幇助となります。また、作為・不作為も問いません。
他人の犯罪行為を阻止して、結果の発生を防止すべき法的義務を負う者が、その義務に反して正犯の行為を阻止しないことによって、その犯行を容易にしたと認められる場合には不作為の幇助が認められることになります。
加害者の親は保育園の不注意をたてに
賠償を拒めるのでしょうか・・・?
- 5歳になる娘が通う保育園の年長クラスでのことです。娘が何人かの女の子たちと一緒に積み木で家を作って人形遊びをしていました。そこへ普段から乱暴が目につくA君(同じく5歳)が積み木を使いたいとやってきて、子ども同士で言い争いになりました。
保育者はこれに気付いて仲裁に入ろうとしましたが間に合わず、A君が女の子たちに向かって積み木を投げつけ、娘のひたいに当たってしまいました。
保育者はすぐに嘱託医に連絡し、娘は診察を受けましたが、ひたいを3針縫うケガを負ってしまいました。
物を投げると人を傷付ける危険があることを教えてこなかったA君の両親に対して謝罪と賠償を請求したいと考えています。しかし、A君の両親は保育者がきちんと見ていなかったのが悪いと言っています。娘のケガは誰の責任になるのでしょうか・・・?
- 加害者になるA君には損害賠償責任がありますが、A君には責任能力がないため、監督者である保護者(この場合は両親)と代理監督者である保育園の双方に損害賠償の責任が生じます。
しかし、被害者のご両親がA君の両親にのみ賠償を請求した場合、A君の両親はその全額を支払う義務を負います。その後、A君の両親は保育園から相応の負担分を受取ることになります。
この事故では、A君が女の子たちに積み木を投げつけ、それが娘さんのひたいに当たって3針縫うケガをしています。このように、他人にわざと物をぶつけてケガをさせることは違法行為ですから、本来であれば違法行為をした本人であるA君が、民法709条の不法行為に基づく責任を取らなければなりません。
しかし、A君は5歳の保育園児ですから、自らの行為によってどんな法的責任が生じるかという点について理解できませんので、責任能力がありません。民法711条では責任能力がない未成年者が他人に損害を与えた場合、損害賠償を負わなくてよいとしています。
従って、A君自身には娘さんにケガをさせたことに対する賠償責任を負いません。しかし、民法714条では責任無能力者の監督者の責任を定めています。すなわち、保育園児のような責任無能力者が第三者に損害を加えた場合、賠償する責任は監督者にあるのです。
監督者には「監督すべき法定の義務がある者(監督義務者)」、または「監督義務者に代わって監督する者(代理監督者)」の2種類があります。この事故では、A君の「監督義務者」には親権者であるA君の両親が該当し、「代理監督者」には保育園が該当します。
まず、A君の両親の責任について考えてみましょう。
A君の両親は親権者としてA君の生活全般にわたって監督義務を負います。その監督義務は「積み木をぶつけたこと」といった具体的な行為のみならず、日頃のしつけや教育などの一般的な監督も含んでいます。よって、A君の両親は日頃の監督義務を怠らなかったことを主張・立証しない限り、娘さんが被った損害を賠償する責任を負います。
両親の責任は両親自身の落ち度の有無によって判断されますから、保育園などの代理監督者にも責任があると認められる場合であっても、そのことによって両親自身の責任が免除されるわけではありません。両親は子どもが家庭内にいるか家庭外にいるかに関わらず、子どもの生活関係全般にわたって子どもを保護・監督しなければならないのです。
両親は子どもが5~6歳くらいになれば、少なくとも社会生活上のもっとも基本的なルールの1つである、人の生命・身体に危害を加えてはいけないということを身につけるように教えなければならないといえるでしょう。
一方、保育園についても代理監督者としての義務を果たしていなかったといいうことがあれば、賠償責任を負うことになります。
では、保育園にもA君の両親にも賠償責任があるとして、両者にどのように請求できるでしょうか?
この点については、保育園もA君の両親も娘さんの損害の全額を支払わなければならず、どちらも他方の落ち度を主張して、娘さんへの支払いの一部を拒むということはできません。
ただ、娘さんが二重に賠償金をもらうのは結果としておかしいため、一方が賠償金を支払えば他方の支払義務はその分消滅し、後はA君の両親と保育園との間で、どちらがどのくらい負担するかの調整をすることになります。これは両者の落ち度の割合によって決まりますので、A君が普段から乱暴な行動が目に付く子どもで、その原因が家庭環境にあるような場合には両親の負担割合が多くなると考えられます。損害賠償としては、事故による治療費を請求できます。また、慰謝料として娘さんの障害慰謝料の支払い求めることができます。
学校開放時に遊具でケガ。
監督義務を負っていたのは誰?
- 小学校1年生の息子が通う区立小学校は放課後に学校開放を行い、校庭や遊具などを近所の子どもたちに提供しています。
その日、授業を終えた息子は大好きな回転塔で遊んでいたのですが、近くにいた上級生からどくように言われました。息子がそれを拒否したため、上級生は急に回転塔を回しはじめて、つかまっていた息子は振り落とされて後頭部を強く打ちつけました。これが地面であれば大事に至らなかったかもしれません。しかし、回転塔の下がアスファルトで舗装されていたため、息子は脳内出血の大ケガを負うことになったのです。
もちろん上級生の粗暴なふるまいは許されませんが、回転塔の下をこんな危ない状態で放っておいた区にも管理者として問題があると思います。また、学校側が子どもたちに対して、回転塔の安全な利用方法を徹底して教えていなかったことも一因です。
そもそも、この場の監督義務を負っているのは学校の先生ですか?それとも現場にいなかった学校開放指導員の方でしょうか?息子を振り落とした上級生に責任能力がない以上、誰に責任を問えばいいのでしょうか?
- 上級生のとった行動は、この種の遊びに通常伴うものとは認め難く、違法であると判断されます。
但し、まだ小学生であることから責任能力がないとみられ、親権者が損害賠償を負うことになります。
教職員や学校開放指導員は代理監督義務者としては認められず、また遊具の設置・管理上の瑕疵も認めるのは難しいと思われます。
回転塔の足場がアスファルトであるべきかどうかについては、さまざまな状況を勘案して考える必要があるでしょう。遊具としての構造上、児童が鉄パイプから手を滑らせて落ちる危険はないとはいえませんが、この程度の危険は避け得ないものだと考えられます。
そして「落ちる」という危険だけを見れば、確かに足場は砂場などにしておく方が良いでしょうが、その場合は軟弱な足場につまづいて転倒する危険が増大します。従って、回転塔の足場をアスファルトで固めたことに関して、設置上の瑕疵があるとまではいえないと思われます。
また、上級生と下級生が同時に回転塔を使って遊ぶ場合には、このような事故が起きる危険性がないとはいえません。しかし、それを想定して教員が高学年生徒に注意を与えていなかったとしても、回転塔に設置・管理上の瑕疵があったとはいえないでしょう。営造物の設置・管理上の瑕疵というのは、あくまで物的設備そのものを指す場合に使用する言葉であり、人的措置については含まれないと解釈するのが一般的だからです。
では、学校開放制度において、教師または学校開放指導員は民法第714条2項の代理監督者にあたるのでしょうか?公立学校における学校開放制度の管理運営の統括にあたるのは教育委員会です。各学校において、直接指導管理を行うのは専任の学校開放指導員の仕事です。従って、開放している間は学校の管理は及ばないと考えられ、学校側の教職員を代理監督者ということはできません。
また、学校開放指導員についても、担当していたのは「外部からの侵入者の排除」、「自転車や野球など他の施設利用者に危害を及ぼす恐れのある遊びの制止」、「備品の保管・貸し出し」などごく限られた職務です。児童の遊びに積極的に介入したり、立ちあって指導監督することは期待されておらず、こうした制度のもとで児童の生活関係の指導監督まで任されていたわけではありません。従って、そもそも父母に代わる代理監督義務者にあたる地位の人はいなかったというべきでしょう。そして、指導員は上記のような限られた職責を負っていたわけですから、現場にいなかったことで義務を怠っていたとはいえません。
以上の理由から、上級生の親権者である両親に対し損害賠償を請求することができます。損害賠償としては、まず入院費・治療費が認められます。さらに、慰謝料としては息子さんの被った精神的苦痛に対する慰謝料が認められます。
「公共物」である河川での事故。
管理者である県の責任は?
- 5歳の息子が自宅そばの堤防から川に落ち、流されて溺死しました。
コンクリートで護岸された堤防には、危険防止のために長い鉄柵がつけられていましたが、管理用の階段を使えば堤防をまたいで水面の近くまで行くことが出来ました。階段は職員が通るためのものなので、普段は一半人が通行できないように扉に鍵がかけられていました。しかし、扉は背が低く、釣り人などはまたいで入っていたようです。
息子がひとりで川へ降りて行ったのは、釣り好きの祖父に釣竿を届けに行った時のことでした。階段の踊り場で釣りの準備をしていた祖父を見つけ、釣竿を渡した息子は祖父から「危ないから帰りなさい」と言われて、いったんはその場を離れましたが、祖父が自宅に戻っている間に階段を使って川べりまで降り、足を滑らせたものと考えられます。体の小さな息子は扉脇の鉄柵の隙間をすり抜けて行ったのでしょう。
この堤防で子どもの転落事故は、実は息子が初めてではありません。息子の死後、階段の入り口には有刺鉄線が張られて子どもが入れないようになりましたが、そんなに簡単に対処できるなら、なぜもっと早くしなかったのでしょうか?
分かっていながら、危険をそのままにしていた県の責任を問いたいと思います。
- 問題の堤防は、子どもが簡単に入れるようになっていたとは考えられません。また、公共物である河川については使用の自由が認められるのと同時に、そこでの危険は自分で負わなければならないものです。
ご両親が川に近づくことの危険を息子さんに教えなかったことが問題といえるでしょう。
従って、県に損害賠償を求めることは難しいと考えられます。
河川の管理をしているのは県です。この堤防は洪水や高潮を防ぐために作られたものですが、その意味ではきちんと役割を果たしていたと考えられます。但し、息子さんの事故を含めて、幼児の死傷事故が何件も起きていることも事実です。では、公共物である河川に問われるべき安全性について、どう考えればいいのでしょうか?
まず、息子さんが鉄柵をくぐり抜け川べりに近づくのは不可能ではありませんが、相当な労力が必要
だったと考えられます。しかも堤防の上に立った時には川面が見渡せ、例え子どもであったとしても、そこに危険があることは分ったのではないかと考えられます。現にその場所は一部の釣り人が利用していたとはいえ、普段から人が集まったり、子どもの遊び場となっていた訳ではありません。また、階段の入り口には立ち入り禁止の看板もありました。従って、堤防自体に安全性が欠けていたとは言い難く、また県の危険防止措置も十分であったと考えられます。
それでも、子どもが単独で入ることは十分に予測できたことであり、絶対に子どもが階段内に立ち入れないような構造にすべきであったとご両親は主張しています。確かに県にとって有刺鉄線を張るのは簡単なことでしょう。しかし、そもそも自然の公共物である河川は、管理目的に触れない限り自由に使うことができると定められています。例えば、釣りなどはそのいい例です。同時に河川には水難事故の危険が内包されているのも事実です。ですから、河川を利用する者は使用の自由と同時に、危険に対する責任も負っているということになるのです。そうなると、子どもに危険を教えるのは親の役割ということになります。しかも、今回の事故に関しては、祖父に触発されて堤防に立ち入ったことにより発生した可能性が高いと考えられます。
従って、堤防への幼児の立ち入りを完全に防止するまでの義務が県にあるとは認められず、損害賠償を請求することはできないと思われます。
子ども同士の事故。
責任は誰が負う?
- 7歳になる息子がいます。1年前からスイミングスクールに通っているのですが、先日、水中メガネが右目に当たり、失明してしまいました。友達のA君(5歳)が「水中メガネの曇りを取ってやるよ」と言って、うちの子の水中メガネを無理に引っ張り、そのまま手を離したために起きた事故でした。
A君の両親は「水中メガネの曇りを取ってあげるという親切心からのことだし、引っ張りも強くなかったから、うちの子に責任はない」と言いますが、どうしても納得できません。
また、スイミングスクールでは人の水中メガネを引っ張らないように注意したり、プールサイドに指導監視員を配置したりはしていませんでした。
今回の事故はほんの一瞬の間に起きたことですから、指導監視員がいても防げなかったかもしれません。しかし、スクール側がもう少し配慮してくれていたら・・・と思うと悔しくてならないのです。
今回の事故に対して、A君とスクール側の責任を問うことはできるのでしょうか?
- 人の水中メガネを引っ張る行為は危険であり、違法な行為とみなされますので、例え親切心からのことであったとしても過失行為と判断され、それについてA君は責任を負うことになります。
しかし、A君は5歳で責任能力がないと判断されますから、A君の責任についてはその両親が負うことになるでしょう。また、スイミングスクール側の責任ですが、今回のような一瞬の事故は指導監視員を置くことで防げた可能性は低いため、監視員を置かなかったことについての責任は問えません。しかし、口頭や張り紙で注意していれば回避できた事故ですので、そのことについてはスイミングスクール側、つまりスイミングスクールの経営者に責任があると考えられます。
A君の両親は「水中メガネの曇りを取ってあげるという親切心から」と言っていますが、例え親切心からであったとしても危険な行為である以上は違法性があり、そのような行為は過失行為であると言わざるを得ません。ですから、今回の事故に関しては、A君に民法709条の不法行為責任があるということになります。しかしA君は5歳ですので、民法712条により責任能力がありませんから、民法714条1項の監督者責任により、A君を監督する立場にある両親に監督義務違反が認められることになります。
なお、判例上は12歳くらいを基準として責任能力の有無は判断されています。
一方、スイミングスクールを経営する人は、自分が管理するプールで生徒の生命や健康に害が生じないように配慮する義務があります。そうした前提に立ち、今回の事故に関するスイミングスクール側の責任について考えてみましょう。
まず、「プールサイドに指導監視員を置いていなかった」ことについてですが、ご質問にあるように「ほんの一瞬の間に起きた事故」ですから、プールサイドに指導監視員を置いていたとしても事故を防げた可能性は低いと思われます。そうであれば、「プールサイドに指導監視員を置いていなかった」ことを理由として、今回の事故の責任をスクール側に問うことは出来ません。
次に、スクール側が「人の水中メガネを引っ張らないように注意しなかった」ことについてです。お子さんは7歳、A君は5歳ですから、「人の水中メガネを引っ張ると、水中メガネが手から離れて目に当たったりする場合があるので危険だ」と口頭や張り紙で注意されていれば、それを十分に理解できる年齢です。スクール側がそうした注意をしていれば、A君がお子さんの水中メガネを無理に引っ張ることもなかったかもしれません。また、お子さんもA君にそんなことをさせなかった可能性が高いでしょう。そうすれば、今回の事故は起こりませんでした。従って、スクール側は口頭や張り紙で生徒たちに人の水中メガネを引っ張らないように注意する義務があったといえ、スクール側はその義務に反したといえます。以上の理由から、今回の事故に関してはA君の両親とスクール側に義務違反があり、それぞれが損害賠償責任を負うことになります。
損害賠償としては、まず治療関連費としてお子さんの治療費・入院諸雑費・通院諸雑費が認められます。また、お子さんは7歳ですから、入院には家族の付き添いが必要です。そのため、入院中の家族付き添い費用も認められます。さらに、慰謝料としては入通院慰謝料・後遺症慰謝料が認められ、お子さんの後遺症の程度に基づいて、就業した際の労働能力等損失額を割り出した「後遺症による逸失利益」の支払を求めることが出来ます。
その他、もし裁判をした場合には、訴訟費用や相当な額の弁護士費用についてもA君の両親とスクール側が負担することになります。ただ、以上のうち、特に慰謝料や逸失利益の計算は簡単ではありませんので、法律相談などを利用して弁護士に相談し、具体的な全額を計算してもらいましょう。
幼稚園の遊具で娘が窒息死。
園の責任は?
- 幼稚園に通っていた3歳の娘が、自由遊びの時間にうんてい(はしご状の体育・遊具施設)に結び付けられていたロープに首をかけ窒息死してしまいました。
普段はロープの本数を確認して、園児が取れないところに保管しているそうです。しかし、その日は行事で使用するためにロープを外に出し、園児たちに自由に使わせていました。
うんていに関しては、それで遊ぶ園児たちが落下しないように監視をすることになっていたのに、先生たちは事故が発生するまでうんていで遊んでいる子どもたちの状況を知らなかったといいます。先生たちがもっと注意を払ってくれていたら・・・と思うとやり切れません。娘の死は単なる事故ではなく、幼稚園に殺されたようなものです。
事故後、幼稚園に対して損害賠償とどうして事故が起きたのかの具体的な説明を求めました。しかし、幼稚園側は「見ていなかったので分からない」、「警察の取調べ中だから答えられない」などと言い、原因追求に誠実な対応をしてくれませんでした。その上、「十分な事故真相の究明をしない状況では損害賠償金に関する話し合いをするつもりはない」と言ったにも関わらず、一方的に損害賠償金の額を決めて送金してくるなど、単にお金で済まそうとしたのです。
幼稚園側は通夜や告別式、謝罪のために何度も家に来ましたが、事故に関する具体的な説明もないまま、ただ謝りたいと言われても気持ちのない謝罪としか受け取れないため、私たちは来ないで欲しいと言い続けました。しかし、幼稚園側は私たちの気持ちをまったく無視し、形だけの誠意を示すための訪問を続けたのです。そうした幼稚園側の態度に私たちは更に傷つきました。子どもを失った悲しみだけでなく、幼稚園に対する怒りや不信感でいっぱいです。
娘の事故死、また私たちが被った精神的被害について、幼稚園に責任を問うことはできるのでしょうか?
- 今回の事故は、幼稚園側が園児らの安全確認および事故防止に関する注意を怠ったことによって起こったものですから、損害賠償責任があります。また、事故後の不誠実な対応についても一部慰謝料を請求できるでしょう。
娘さんは3歳で入園したばかりだったので、親元を離れて慣れない生活を送っていたと考えられます。そのため、幼稚園側には自由遊びの時間であっても、その安全確認・事故防止に関していっそうの配慮が求められます。また、園児に普段よりも自由にロープを使わせていた訳ですから、よりいっそうの注意をしなければならなかったはずです。
ご質問にあるように、幼稚園側は事故が発生するまで、うんていで遊んでいた園児の状況をまったく把握できていなかったということですから、幼稚園児が園児たちの遊戯の状況やロープの使用状況について十分な監視をしていたとは認められません。よって、園児たちの安全確保および事故防止に関する注意義務を怠ったことによる事故であると判断され、幼稚園側にはこの事故で生じた損害を賠償する責任があると認められます。
次に、事故後の幼稚園側の不誠実な対応によって、ご両親が被った精神的被害について責任を問えるかどうかをお答えします。
ご質問には「単にお金で済まそうとした」とありますが、ご両親は事故発生当初から事故についての状況説明と同時に損害賠償も請求しています。ですから、気持ちの部分で意に沿わなかったとしても、幼稚園側が送金して来たこと自体を根拠として慰謝料を請求することは難しいでしょう。しかし、事故発生の十分な説明・究明もしないまま、また損害賠償に関する話し合いもないままに額を勝手に決定したことについては慰謝料請求の対象になると思われます。また、幼稚園側が「形だけの誠意を示すための訪問を続け」て、それによりご両親は「更に傷ついた」とありますが、やはり気持ちの部分で意に沿わなかったとしても、社会通念上このような幼稚園側の行為は娘さんやご両親に対する弔意と見舞い、謝罪の気持ちから行っていたものと判断されることが多いと思われます。従って、このことを根拠として慰謝料を請求することは難しいと思われます。
以上のことから、今回の事故における幼稚園側が負う賠償は以下の通りです。
娘さんについては葬儀費用の他、死亡による慰謝料と死亡による逸失利益(※)が認められます。また、ご両親に対しては娘さんを失った精神的苦痛と、事故後の幼稚園の対応などによる被害を含めた慰謝料が認められることになります。そして、娘さんについての損害賠償については、ご両親が相続することになります。
[逸失利益]
逸失利益とは、「不法行為または債務不履行がなかったとしたら、被害者または債権者が得たであろう利益のこと」をいい、民法上、加害者または債務者に損害賠償できる損害の一種です。
駅の階段で女性が転倒。
ぶつかってしまった息子の責任は?
- 小学校6年生の息子が駅で前を歩いていた女性にぶつかり、ケガを負わせてしまいました。女性は階段の下まで転倒して顔や肩にケガを負い、肋骨を骨折してしまいました。
女性側の弁護士からは、「日ごろから素行が悪いと評判のあなたの子どもが無謀な行動をして故意にぶつかった」と訴えられています。また、親である私たちにもそのような息子をちゃんと監督していなかった責任があると言われています。
息子が女性と接触して転落させてしまったことは事実ですが、日ごろから素行が悪いという評判はなく、また、息子が階段をふざけて駆け下りて故意にぶつかったとはどうしても思えません。
息子も「女の人がよろめいて、それをよけきれなくてぶつかってしまった」と言っています。女性は以前から、病気による歩行困難や運動障害があったそうです。
このような事故の場合、息子と私たちはどのような責任を負うことになるのでしょう?
- 大勢の人が利用する駅のような公共の場では、他人にぶつかったりしないように通行する注意義務があります。今回の場合、息子さんが「無謀な行動をして故意にぶつかった」のではないとしても、注意義務を怠った過失があるということで、責任を追うことになります。
しかし、息子さんが「日ごろから素行が悪い」と断定できないのであれば、「日ごろから素行が悪い息子さんが無謀な行動を起こさないように監督する義務」がご両親にあったとは言えません。
よって、ご両親に監督義務を怠った過失があるといえず、ご両親が責任を負うとは考えにくいでしょう。
前述のように、公共の場では人にぶつかったりしないように通行する注意義務があります。息子さんは小学6年生ですから、自分の行為の良し悪しや責任について十分に理解し、注意義務を果たすことができる年齢と判断されます。
もっとも、女性には以前から病気による歩行困難や運動障害があったため、自らよろめいて、それに息子さんがぶつかったとあります。しかし、日常生活に支障がなく普通に会社に勤務できる状態であったとしたら、病歴があるからといって、それが今回の事故の直接的な原因であると断定するのは難しいと思います。ですから、息子さんが注意義務を怠った過失があるものとみなされ、民法709条による不法行為責任を負うことになるでしょう。
次にご両親の責任についてです。
女性の主張は、「日ごろから素行の悪い息子さんが無謀な行動を起こさないように監督する義務があるにも関わらず、それを怠った過失がある」ということでした。
しかし、ご両親が見る限り、息子さんが日ごろから素行が悪いという評判はないということですし、そもそも今回の事故は息子さんの過失行為によるものです。仮に今回の事故以前に息子さんの素行が悪かったとしても、そのことから息子さんが「無謀な行動をして故意にぶつかった」と断定するのは困難です。ですから、ご両親が監督義務を怠った過失があるということにはならないでしょう。
以上の理由から、今回の事故に関しては息子さんが損害賠償責任を負うことになります。損害賠償としては、治療関係費(治療費・薬代・通院のための交通費など)のほか、女性が会社員であることを考慮した場合は、事故によるケガのためにやむを得ず会社を欠勤、早退、遅刻しなければならなかったことによる休業損害を負担しなければならないでしょう。
また、今回の事故により被った精神的苦痛に対する慰謝料も支払わなくてはならないでしょう。その他に弁護士費用(実際に弁護士に支払った額ではなく、相当な額です。判例上は賠償額の1割程度とされることが多いようです)も負担することになります。
多動障害の娘が
子どもを傷つけてしまったら・・・?
- 当時小学校6年生(11才)の娘が教室内で同級生とケンカをして腹を立て、3階のベランダからアルミ製の傘立てを投げ捨てました。校庭では、当時小学校4年生(10才)のAさんが縄跳びをしており、娘の投げた傘立てが頭に当たってしまいました。
意識を失ったAさんは救急者で運ばれましたが、CT検査などの結果大きな異常はなく、その日のうちに帰宅しました。しかし、2週間後に突然けいれん発作を起こすようになり、現在は抗てんかん剤の投薬治療を受けているそうです。また、この時のケガが元で脱毛症になったAさんは中学でイジメを受け、そのことが原因で高校進学をあきらめたと聞いています。
娘には多動障害があり、教室内で椅子を投げたり、ガラスを割ったりすることがありました。そのため、すべての先生が娘に対して声かけや見守りをしてくださるなど、普段から配慮を頂いていました。
しかし、Aさんのご両親は「学校側がもっと早く専門医師に受診させて適切な治療を受けさせたり、監視役をつけたりしていれば、事故を未然に防げたはず」、「そもそも3階の、多動傷害の子がいるベランダに傘立てを置くのは安全への配慮に欠けている」と仰っています。しかし、これまで娘が他人を傷つけるような行動を取ったことはなく、娘の行動全てに監視をつけるべきというのはどうなのでしょうか?また、医学的にも今回のケガがてんかん発作の原因となったとはいいきれないようです。
とはいえ、娘の行為がAさんの人生を変えてしまった可能性があるのも事実。娘や私たち両親、学校側の責任はどれだけのものになるのでしょうか?
- 傘立てを投げた娘さんは責任を負うことになります。しかし、多動傷害がみられる彼女に責任能力はないと判断されるため、娘さんの責任についてはご両親が負うことになるでしょう。
また、事故とAさんのてんかん症状との因果関係が認められれば、後遺症による逸失利益分と慰謝料などが損害額として算定されます。
学校の責任については、普段から娘さんの行動について相応の対処を取っていたこと、その上で今回の行動を予測するのは難しかったことから、安全への配慮が欠けていたということにはならないと思われ、責任は認められないでしょう。
現在、Aさんは働いていませんが、未就労の児童が後遺症をもったことで将来の所得がどう変わるかを計算することが出来ます。その逸失利益を算定するにあたっては、事故とてんかん症状との因果関係が明らかになるかどうかが重要です。
ご質問と類似の裁判では、外傷性てんかんの診断基準をめぐって被害者と加害者が意見を戦わせていますが、最終的に裁判官はさまざまな文献資料や専門医の意見をもとに「因果関係がある」と判断を下しました。その裁判では、被害者が健康体で事故以前にけいれんを起こしたことはなく、遺伝的要素もなかったこと、外傷は少なくても相当の衝撃が頭部に加わったことなどが大きな判断根拠とされました。
但し、被害者の病状に回復の兆しがあれば、一生涯に渡って被害者の労働能力が喪失されるとは考えづらく、逸失利益はそれに応じた額になるでしょう。ですから、この裁判を前提とするならば、ご質問のケースでも事故とAさんのてんかん症との因果関係が認められる可能性があります。
次に学校側の責任についてですが、教職員には生徒の行動が引き起こす事故を防止する義務があります。では、学校側は義務を怠っていたのでしょうか?
この学校では全職員が普段から娘さんの行動に気を配っており、彼女が落ち着いて授業を受け学園生活を送れるようコミュニケーションを取る努力を続けていました。学校が生徒の自立性を養う場であると考えた場合、娘さんに教職員が常時付き添って監視するというのは、娘さんだけではなく周囲の生徒にとってもいいやり方とは思えません。教職員の負担が過大になることも合わせれば、監視役を付き添わせるまでの義務は学校側になかったと考えられます。また、娘さんに適切な治療を受ける機会を提供する義務があるのは親権者であるご両親ですから、学校側には措置を促す義務があるに過ぎません。
そして、傘立てを投げた娘さんの行動については予測できなかったと判断されます。これまでの行動が学校内の備品の破損に限られており、他の生徒に傷害を負わせたことはないからです。従って、学校側が義務を怠っていたとはいえないでしょう。
また、傘入れをベランダに置いていたことについても、本来の用法に従わず予測しえない行動から生まれた事故である以上、傘立ての設置そのものに「安全性が欠如」していたとはいえません。従って、ここでも学校側に対して損害賠償責任を問うことはできません。
娘さんは小学校入学時から多動障害が見られ、これまでの行動に照らして責任能力がなかったと考えられます。従って、親権者であるご両親に民法714条1項に基づく監督義務違反が認められます。
以上の理由から、今回の事故に関してはご両親が損害賠償責任を負うことになります。
損害賠償としては、Aさんの治療関係費のほか逸失利益と慰謝料が認められます。逸失利益については、どのように判断するか問題です。一般的には就労可能時間を18才と考え、67才までの間の就労について考えるべきですが、被害者の具体的症状によって判断されます。
ご質問として類似の裁判では、被害者の就労可能時期を18才と考え、28才までの間の就労について「労働能力が喪失される」と考えて計算されました。
学童保育に通う息子がプロレスごっこで骨折。
保育側の責任は?
- 私たちの住んでいる町には、放課後に両親の帰りがおそくて家に一人ですごす鍵っ子の子どもたちを預かる「鍵っ子保育クラブ」と呼ばれる学童保育事業があります。運営者は行政で場所もふだん通っている小学校ということもあって、小学校低学年の息子を預けるのになんら抵抗はありませんでした。
ところが、息子が他の男の子と「プロレスごっこ」をしているとき、二人でマットの上に転倒し、下敷きになった息子が腕を折るという事故が起こったのです。この「プロレスごっこ」は子ども同士が組み合って相手の肩を床に押さえて「一、二、三」と数えるものであり、役所の職員でクラブの指導員だったAさんがレフェリーを務めていました。
ところがAさんが不用意にも電話で現場を離れたところ、そのすきに事故が起きました。Aさんをはじめクラブ側は「指導監督を怠ったわけではなく、偶発的な事故だった」といい、さらに、国家賠償法一条一項にいう「公権力の行使」にはあたらないと主張していますが、小さな子どもたちがふざけあっているときに目を離すことがどんなに危険なことか知らなかったわけではないでしょう。役所が運営しているからこそ、私たちは信頼して子どもを預けているのです。クラブの運営者に損害賠償責任を問うことはできるのでしょうか?
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指導員のAさんは安全配慮義務を負っています。ただし、そもそも学童保育の趣旨に照らして「遊び」は子どもたちの自由な発想・行動に任せるものと考えられるため、事故当時の具体的状況に照らせばクラブ側の過失を追及するのは難しいと考えられます。
公務員が公の活動を行ったときに発生する責任については、国家賠償法に定められています。学童保育事業は地域住民に対するサービスに過ぎないので、国家賠償法一条一項にいう「公権力の行使」にはあたらず、したがって同法の適用はないとクラブ側は主張しているようです。しかし、「公権力の行使」とは必ずしも市民に対して優越的に使われるものを指すのではなく、広くすべての公の活動を指すと考えるのが妥当です。したがって、このクラブのような活動であっても国家賠償法の適用範囲内にあり、過失があった場合はその範囲で責任が問われることになります。
このクラブのように低学年の子どもを対象とした保育事業では、直接子どもたちを監視する指導員が子どもへの安全配慮義務を負うのは当然です。ただし、「どこまで注意する義務があるのか」という内容や程度については、保育の目的や性質など具体的な状況を勘案して決められるのが妥当でしょう。学童保育においては、放課後に保護者の監督を十分に受けられない子どもに夕方まで勉強や遊びの場所・機会を与えることが目的です。そして、今回の事故はまさに本来の目的である「遊び」の最中に起きたものです。「遊び」は本来、子どもたちの自由な発想・行動に任せるものと考えられます。もちろん危険が伴うと予測される場合は禁止も含めて指導する必要がありますが、子どもたちの年齢や人数からして大丈夫と判断できる場合はむやみに禁止したり、一挙手一投足までに注意を払うべきではないと考えられます。
今回の「プロレスごっこ」は子ども同士が組み合って相手の肩を床に押さえて「一、二、三」と数えるものであったとのことで、実際に危険な技を伴うものではなかったようです。また低学年の児童とはいえ、何が危ないかについてはある程度判断できる年齢であると考えられます。その結果転倒することがあったとしても、Aさんたち指導員が「プロレスごっこ」を禁止し、特別な監視をすべきだったとする根拠にはならないでしょう。Aさんに注意義務違反の過失は認められません。
以上の理由から、今回の事故に関してはクラブ側に損害賠償責任を問うことは難しいでしょう。
クラブの安全管理体制そのものが具体的にどのようなものであったかは不明な点もありますが、単に指導員個人のみへの責任追及だけですまされるべきではないでしょう。今後「鍵っ子」といわれる子どもをめぐるさまざまな問題について広い視野から検討される必要があると考えられます。
動物による事故
- 4歳のA子が両親と牧場に遊びに行きました。そこでは、牧場内でポニーを放し飼いにし、入場者が直接ポニーに触ったりできるようになっていました。A子が小さいポニーの頭を触って遊んでいたので、両親はA子から10メートルくらい離れたところでA子を見ていました。
その後、A子が大きいポニーの後ろに回ったところ、そのポニーが後ろ足を蹴り上げ、これがA子の後頭部に当り、A子は6針縫うけがをしました。
牧場内には、「ポニーがいやがることをしないでください」「追い掛けたり無理矢理触ったりすると、蹴られることもあって危険ですので、ご注意ください」な どと書かれた看板が数カ所にあり、従業員が時々巡回していましたが、ポニーの移動できる範囲内に常駐監視員や指導員がいたわけではなく、A子がポニーに蹴られたときも、近くに牧場の従業員は誰もいませんでした。
A子の両親は牧場を経営しているY社に対して責任を問うことができるのでしょうか。
- 本ケースでは、Y社が所有・管理している馬がA子に危害を加えたために、A子がけがをしたのですが、A子の両親はY社に対して、治療費、慰謝料等の損害賠償を求めることができるかどうか、検討してみましょう。
民法718条第1項は、「動物の占有者はその動物が他人に危害を加えたる損害を賠償する責に任ず。但し、動物の種類および性質に従い、相当の注意をもってその保管をなしたるときは、この限りにあらず」と定めています。これは、動物が飼い主の意のままにはならないことに注目して、被害者保護の観点から、加害者に重い責任を負わせたものです。
つまり、通常の不法行為責任の場合には、加害者が、加害者に故意・過失があってそのために被害者に損害が生じたことを説明しなければなりませんが、この動物占有者の責任は、動物の占有者が原則として責任を負い、動物の占有者が相当の注意を払って動物を管理していたことを証明しない限り、責任を免れないと定めているのです。
本ケースでは、Y社が経営する牧場は、ポニーを放し飼いにして入場者とポニーとの触れあいをさせようというものですから、そうすると、当然に子どもが放し飼いにしたポニーの体に触れることがあり、Y社は事故防止のため十分な注意を払わなければなりません。
そして、ポニーが生来おとなしい性質で体も小さい馬であることを考慮しても、後ろ足で人を蹴るなどして人に危害を加えることも考えられるのですから、Y社としては、入場者に対して、その危険性や留意事項を理解してもらうために十分な内容と数の看板を設置したり、入場時に十分な説明をするなどして必要な事項を周知徹底する措置を講ずる必要があるといえますし、また、ポニーの移動できる範囲にある程度の制限を設けて、そこに監視員や指導員を配置して、子どもがポニーを刺激したりしないように常時監視する体制をとるなどの、事故防止措置も必要だったのではないかと考えられます。
ですから、本ケースのように、数カ所に簡単な内容の看板があるだけで、安全を監視する体制も従業員の巡回に留まっていたという場合では、Y社が「相当の注意を払って動物を管理していた」ことを証明して責任を免れることは難しいのではないかと思われます。
Y社が、ポニーの占有者としてA子のけがに対する損害賠償責任を負うとして、A子やA子の両親は、その損害の金額をY社に賠償してもらえるでしょうか。
ここで、A子の両親に落ち度がなかったかを検討し、過失相殺について考えてみる必要があります。
入場客としても、穏やかな性質の動物であるとは言え、ポニーも馬ですから、場合によっては人を蹴るなどすることも予測できますし、予測すべきであるといえます。
また、牧場内にはポニーの危険性を知らせる看板も、数カ所とは言え設置されていたのですから、それなりの注意を払わなければいけないと言えるでしょう。
しかしながら本ケースでは、A子の両親はA子の親権者としてA子を保護しなければならない立場にありながら、ポ ニーの危険性について特に考えることもなく、A子から10メートルくらい離れたところから漫然とA子を見ていたのですから、A子の両親にも落ち度があった といわざるをえません。
このようなA子の両親の落ち度は、被害者の過失として考慮されますから、落ち度の度合いに応じて過失相殺がなされると考えられます。具体的には本ケースでは、2~4割程度の過失相殺がなされるのではないかと思われます。
またA子の両親は、以上とは別の法律関係に基づいY社の責任を問うこともできます。
牧場の入場者とY社の間には、入場者がお金を支払い、Y社が入場者を牧場に入場させてポニーとの触れあいをさせるという契約関係が存在します。そして、その契約関係においては、信義則上、Y社は入場者に対してその生命身体を危険から保護するように配慮すべき義務(安全配慮義務) を負っていると考えられ、同社がこの義務に違反したことにより入場者に損害が生じたと認められれば、Y社は入場者に対して損害賠償責任があるということに なります。その場合も、入場者のけがについて、Y社に責められるべき事情(故意または過失)がなかったことを同社が証明しない限り、損害賠償責任を免れる ことはできません。
本ケースの事情では、Y社には安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任も認められるのではないかと思われます。そしてこの場合にも、過失相殺が問題になることは、不法行為に基づく責任追求の場合と同じです。A子の両親は、Y社に対する損害賠償請求の根拠として、同社の不法行為、あるいは安全配慮義務違反のどちらによってもよく、またその両方を根拠とすることもできます。
なお刑法は、「業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、5年以下の懲役もしくは禁錮または50万円以下の罰金に処する」と定めています(同法211条)。
以上の事情の下では、Y社のポニーの管理責任はこの犯罪に当る行為をしたとして、刑事責任も免れることはできないのではないかと考えられます。
刑事責任の追求、そのための捜査は、警察官・検察官がおこなうことですが、刑事責任の被害者は、警察や検察に犯罪の存在を知らせ、犯人の掲示処罰を求めることができます。これを告訴といい、A子の両親は警察署または検察庁に行って、その手続きを取ることもできます。
ブランコで娘が事故死。安全性への配慮が逆に危険を生んだ。
- 私には、別れた夫との間に八歳になる娘がいました。日中私が働いていることもあり、ひとりで過ごすことが多い子でした。あの事故が起きたときも娘はひとりで遊んでいたのでしょう。家の近くには市が作った児童遊園があり、ふだんは敷地内にある保育所が使用しているのですが、平日の夕方や土日は開放され、誰でも自由に出入りできる状態でした。
日曜日、娘は児童遊園のリング式ブランコで遊んでいました。子どもが対面して座り、振り子のように揺らして遊ぶ遊具です。当時、こうしたタイプのブランコでの事故が全国で発生していたこともあり、保育所の職員がブランコの四隅にビニールロープをつけて支柱につなぎとめ、揺れを制限して使っていました。一見安全に気をつけたこの措置が、皮肉なことに娘の命を奪うことになりました。一本のロープが首に絡まり、宙づりになっている娘を近所の方が見つけたのです。
娘は病院に運ばれましたが、まもなく息を引きとりました。窒息死でした。ロープは女の子でも簡単にほどけるので、娘はそれを身体に巻いて遊んでいたのでしょう、しかし、ブランコが不規則な揺れをしたためにロープが首に巻きついたのだと思われます。つなぎ止めが外れたブランコは危険な遊び(子どもたちはそれが大好きですが……)に使われる可能性があります。誰かがいつも監視しているのならともかく、子どもたちが勝手に遊んでいる状況は市にも分かっていたはずです。遊具が安全性を欠いていたのに見過ごした市の管理責任と、ブランコをロープでつなぎ止めた職員の過失を問えますか?
- ブランコ本来の使い方で遊んだ場合、ビニールロープでつなぐことが安全性を奪うとは考えられません。娘さんの遊び方が特殊であったと判断され、市の管理義務違反や職員の過失があったとはいえないでしょう。国家賠償法第二条一項が定める「公の営造物の設置又は管理に瑕疵」があるとは、公の建造物が通常持っているべき安全性を欠いていることを指します。安全性を欠いているかどうかについては、建造物の構造・本来の用法・場所的環境や利用状況など、さまざまな事情を考慮して総合的に判断されます。今回の件で問題になっているビニールロープについて考えると、ロープによってブランコの可動範囲は制限されるものの、ブランコの本質的な使い方が変わるとは考えられません。そうすると、このブランコが「通常有すべき安全」を欠いていたかについては、子どもが乗って遊ぶという本来的な利用状況で危険が発生するかどうかで判断されます。
逆に言えば、それ以外の遊び方で事故が起きた場合には設備の安全性を問題にできるとは限らないということです。したがって、ご質問の場合は、本来的な使い方をしているかぎり、このブランコに安全性が欠けていたとは認められないと思われます。ただし、ロープを身体に巻きつけるという遊び方が子どもたちの間で状態化していたことが誰からも明らかであれば、安全管理措置を欠いていたといえそうです。しかし、そうした事実がない限り、その点においても管理者が義務を怠っていたとはいえません。
それでは、保育所の職員がブランコをビニールロープでつないだことが過失にあたるでしょうか。「ブランコをビニールロープでつなぐ」ことが原因で「児童の窒息死」が起こると十分に予測可能であった場合には過失が認められます。確かにリング型ブランコでの事故は頻発していたようですが、そうした事故の大半はブランコの底部と地面の間に身体をはさむといったもので、今回のようなケースはまれだと思われます。したがって、職員が今回のような事故を予見することは困難だったといえるでしょう。
以上の点から、市や職員に賠償責任を問うことは難しいと思われます。このような事故を未然に防止するためには、子どもたちがあえて本来とは違う遊び方をしないように注意することが必要でしょう。
※出典元:特定非営利活動法人 医療と法律研究協会 著
『親と先生のための子どもをめぐるトラブルと法律Q&A』(新紀元社/2005年)
※Babys!では法律に関する個別のご相談にはお答えしかねます。ご了承ください。